1912年に古書の市場に現れてから100年以上、だれも読めていない本があります。米イェール大学の図書館にある「ヴォイニッチ手稿」です。この本は、15世紀に最初に綴じたときに、ページの順を間違えていた可能性がある。そんな研究が学術誌『Digital Medievalist』に載り、10月に海外で報じられました。
関西の暮らしとの関わりは薄い話です。それでも取り上げるのは、約3万5000語という少ないデータを、最新のAIではなく古い文章解析の手法で調べたやり方が、仕事でデータを扱う人にも面白いからです。
正体の分からない文字で埋まった本
ヴォイニッチ手稿は、羊皮紙(動物の皮を薄くしたもの)でできた手書きの本です。正体の分からない文字が約3万8000語分並び、植物や星、浴槽に入る女性などの絵がたくさん描かれています。Live Scienceによると、羊皮紙は年代測定で15世紀前半のものとされています。
イェール大学のバイネキ稀覯本・手稿図書館によると、1912年に古書商のウィルフリッド・ヴォイニッチ氏が、ローマ近くのイエズス会の学校から買い取りました。1969年からこの図書館にあります。暗号として解こうとする試みは、どれも成功していません。
ヴォイニッチ手稿を上の側から写した写真。紙を重ねた束がいくつも並んでいる出典: Yale University Library / Wikimedia Commons(Public domain(Wikimedia Commons・出典 Yale University Library)・縮小のみ・2026-10-26確認)
ページの順を疑った3つの手がかり
研究したのは、マルタ大学で情報システムを研究するコリン・レイフィールド氏と、米国中世アカデミーの事務局長のリサ・ファギン・デイヴィス氏です。
中世の本は、長方形の羊皮紙を半分に折った紙を5枚ほど入れ子に重ねて一つの束にし、その束を背で縫い合わせて作ります。入れ子にするので、1枚の紙の左半分と右半分は、本の中では離れたページになります。
2人が挙げた手がかりは次の3つです。
| 手がかり |
分かったこと |
| 筆跡 |
デイヴィス氏は2020年の研究で、5人が書いたとみています。書き手の入れ替わり方が、束の単位でなく紙1枚ごとで、ふつうの本の作り方では説明しにくい |
| 挿絵 |
絵がページの途中で切れ、何ページも離れた先で続きが現れる例がある |
| 文章の似かた |
本を開いたときの左右のページより、1枚の紙の片割れどうしのほうが、言葉がよく似ていることが多い |
2人は、この手稿はもともと入れ子の本ではなく、二つ折りの紙を1枚ずつ順に重ねて読む作りだったと考えています。それを、中身を読めない人が入れ子の束として綴じてしまった、という見方です。デイヴィス氏は、こう考えると書き手が紙1枚ごとに分かれる謎も、絵が綴じ目をまたぐ謎も解けると話しています。
最新のAIでなく、古い文章解析を使った理由
文章の似かたを調べるのに、レイフィールド氏は潜在意味解析(LSA)を使いました。文書ごとに出てくる単語を数えて表にし、その表を数学の手法で小さくまとめて、文書どうしの話題の近さを数値で比べる方法です。1980年代後半に考えられた、自然言語処理の手法です。
レイフィールド氏はLive Scienceに、今のAIの手法は学習にとても多くのデータが要るが、手稿には3万5000語ほどしかないと話しています。少ないデータでも使えるので、この手法を選んだということです。
比べる基準として、正しく綴じられた中世の写本でも同じ計算をしました。続けて読むページほど言葉が似るはずだからです。ヴォイニッチ手稿では、綴じ方で決まる左右のページの組み合わせだけが、その傾向から外れていました。
3ページ分を広げる折り込みのページ(第68葉の表)。星や月のような円い図が並ぶ出典: Beinecke Rare Book & Manuscript Library, Yale University / Wikimedia Commons(Public domain(Wikimedia Commons・作者不明・出典 Beinecke Rare Book & Manuscript Library)・縮小のみ・2026-10-26確認)
ただし、レイフィールド氏は、並べ直したページが正しいかは、読めない以上は確かめられないとも話しています。ページの順が違うという指摘も、今回が初めてではありません。デイヴィス氏は、解読にはたどり着いていないが、ページが混ざった本では意味を取れないので一歩前進だとしています。今の並びを前提にしたこれまでの研究は、見直しが要るとも話しています。
2人は次に、一部のページの上の余白にある大きな水の染みを比べる考えです。本来の見開きなら左右で形がそろうはずの染みが、今はそろっていません。染みの形から、元の順に並べ直す手がかりを探します。
関西の家からもできること 全ページを画面で見る
ヴォイニッチ手稿は、イェール大学図書館のデジタルコレクションで、全ページの高い解像度の画像が公開されています。拡大して見られ、ファイルをまとめて取り込むこともできます。原本は、研究のための特別な場合しか見せていません。
- イェール大学図書館の Cipher manuscript のページ を開き、画像を拡大して見る
- 絵が紙の端で切れているページや、筆跡が変わるページを探してみる
- 仕事で文章のデータを扱う人は、データが少ないときに古い手法を選んだ考え方を、自分の分析に当てはめてみる
デイヴィス氏が解読に望みを持つのは、1930年代の難問「ケインの顎骨」の例があるからです。殺人ミステリー100ページ分を正しくない順に並べたもので、AIでも解けませんでしたが、ひと握りの人が解きました。600年近く前の本の並び替えも、これから人の手で進むかもしれません。